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現実の殺人・虐待


『チャイルドコール 呼声』において話が二転三転するうちに、観客はもっとも現実的な情報を頼るようになる。それはヘルゲの見た世界、映画の終盤で示される警察やメディアからの情報である。アナが入居したアパートでは殺人事件が起きた。チャイルドコールからアナが聴いたのは子供が本当に虐待されている恐ろしい音声だった。少年の死体は森の中に埋められていた。アンデシュは8歳の時に父親に虐待されて殺されていた。


少年の母親は、チャイルドコールから聴こえる叫び声から判断すると子供の死にショックを受けているようだが、少年の亡霊がヘルゲに、母親からも虐待されていたと発言することや、報道から、母親も虐待に加担していたと観客は信じることとなる。

アナの息子であるアンデシュは2年前に父親に殺され、その父親は事件後自殺した。それだけでなく、父親はアナとアンデシュを長い期間にわたって虐待していた。精神を病んだアナは、アンデシュが今でも生きていると信じ込む。アナがこのような状態に陥ったのは、夫から逃げられなかったため精神を著しく傷つけられたからであろう。もう一度チャンスが欲しい、とアナは強く希求し、アンデシュは生きている、そして今回こそアンデシュを救うことができる、と思いこんでいるのであろう(本記事Prologueの冒頭にあるアナのセリフが、この説を裏付ける)。

毎日、アナはアンデシュに付き添って学校まで行き、校庭をうろつき、学校職員に追い出される。アナは、アパートの管理人と女性を児童福祉施設の職員だと思い込む。管理人は、アナの孤独と精神的な痛手に付け込んで性的な関係を持とうとしているようだ。映画の後半で、アナは完全に妄想の中にいる。その世界のなかでは、アナは学校の職員と会話をし、学校の教職員ら関係者たちはあたかもアンデシュがそこにいるかのようにふるまっている。

アナのひとりごとから、彼女がいつも異常なほどにアンデシュの安全を気にかけていることがわかる。そして、アナの過去には疑惑があるようだ。アナの想像上の「福祉の人」がアナの過去に疑問を呈し始める。アナとアンデシュが調査に対して真実を言わないことを理由に、アンデシュの父親の訪問を認めようとする。これは、自分がアンデシュの虐待死に無関係ではないという、アナの理性サイドからの無意識のシグナルであろう。実際、アナがアンデシュを乱暴に揺さぶる二つのシーンから、彼女がアンデシュの死に関係しているであろうことが推察できる。

チャイルドコールから聞こえた音


アナが初めて夜中にチャイルドコールから聞いたのは、暴力行為の音であった。次に昼間にアナが聞いた声は、殺人を疑う会話であった(最後に女性が叫び声で「いったい何したの?」と言っている)。少年は殺され、その日のうちにアナの妄想(あるいは亡霊)として現れる。アンデシュの学校でできた新しい友達として、アンデシュと共に歩いてくるのである。その後、アナは、アパートの地下駐車場で男が寝袋を車に運び込むのを目撃し、チャイルドコールで聞いた音から、寝袋には死体が入っていると確信する。

映画の終盤で、少年は自分の死体が埋められている場所を絵に描き足す。ヘルゲはその絵から、事件を解決することになる。そのときにはアナはすでに7階から飛び降りて命を絶っている。アンデシュを腕に抱き一緒に飛び降りることがアンデシュと別れずにいられる唯一の方法だ、とアナは確信していたのだ。

なにか怪しい、と観客にわからせるのは実は簡単なことである。『チャイルドコール 呼声』の素晴らしい点は、怪しいと思わせる「ごく平凡な」演出をしなかった点である。シュレットアウネ監督はその場の思い付きではなく、あらかじめ考え抜いたうえで非常に緻密なスタイルで演出している。

アンデシュというサイン


亡霊という存在であるアンデシュが、アナに殺人事件のカギを2度提示する。このときのアンデシュの行動パターンは決められている。2回とも、アンデシュは突然行動を止めて、アナから逃げ去る。そして、アナがアンデシュを探しているときに、殺人事件の新しい手掛かりと出くわすのである。最初は、アンデシュの描いた絵が血で汚れていることに気がついたアンデシュが、アナに抵抗するときである。アンデシュは部屋から飛び出し、ヒステリーを起こしたアナがアンデシュを追って地下駐車場に行き、そこで男が死体らしきものを車に運び込んでいるのを目撃するのである。

2回目も行動パターンはよく似ている。晴れた日にアナとアンデシュは森へ向かうが、そこにアナが言っていた美しい湖はなく、単なる駐車場しかなかったため、アンデシュはアナがうそをついた、と激高する。ここでもアンデシュは走り去り、アナは彼の後を追う。結局、アナはアパートの敷地にあるブランコに乗っているアンデシュを見つけることとなるが、アンデシュを探している途中で、同じアパートに住んでいる女性を森の中で見かけることになる。この女性が殺人犯の妻であり、夫から子供の遺体を埋めた場所を知らされたのだ、ということを観客は後に知ることとなる。チャイルドコールから聞こえた女性の叫び声「あの子はどこなの!」は、彼女の森へ入る行動へと通じている。

どちらのケースにおいても、精神を病んでいるアナが現実のなにものかと接点をもつこととなる。この、アナの妄想であるアンデシュが走り去るという出来事は、アナの精神の状態がその間はやや安定した状態にあることを示すサインである。アナを現実へと向かわせようとしているアンデシュを必死に探す行為そのものが、アナの病いを悪化させているという矛盾がここで起きる。どちらのケースにおいても、アナはアンデシュが死んでいることを、どこかで知りつつ彼の後を追っているのであり、アンデシュの存在自体が、アナの心が病んでいることを示す最も確かなサインなのである。

脳内と現実の世界のはざまで


『チャイルドコール 呼声』において描かれているのは、現実と、オカルトと呼ばれることもある非現実の世界とのあいだの奇妙で複雑な関係である。現実と非現実の世界は互いに影響しあい、互いに蝕みあう。ヘルゲに眼を向けると、状況はより複雑なものとなる。この頭の固い、恥ずかしがり屋の電器店員の状況は、あまり良いものではないからだ。

もっとも驚くべきことから挙げると、彼は死者を見ることができる。少年を想像上の存在と呼ぼうが、亡霊と呼ぼうが、少年はその時点で死んでいる。それにもかかわらず、ヘルゲはアナに夕食に招待されたとき、その少年と玄関で会っているのである。それだけでなく、職場で、商品のカメラをいじっているときに、ヘルゲはモールのカフェに少年が座っているのを見かけるのである。この二つの「視覚体験」はヘルゲにとって大きな意味を持つ。なぜなら、少年は悪い知らせをもたらす存在のように思えるからである。アナにとってアンデシュがどこかへ行ってしまった状況が、ヘルゲにとっては少年が視界にいるというシーンとなる。

カフェにいる少年を見た直後、ヘルゲは死の床にいる老母が人工呼吸器を使用しなければならない状況にあることを知る。死が近いことを思わせる不吉な状況のなかで、ヘルゲは医師から促されたにもかかわらず、老母の顔を見ようとはしない。アナの家でヘルゲが少年と出会った時は、より恐ろしいことが起こる。ヘルゲは母を強く愛しているようにふるまっているが、少年が母親に関してつぶやく言葉に雷で打たれたかのように強くショックを受ける。「あなたのママと同じさ(あなたのママと同じ仕打ちを僕は受けているんだ)」そして少年は自分の体の痣を見せつつ、続けて言う、「僕たち同じタイプの人間でしょ(だから、お互いにわかり合えるよね)」と。ヘルゲの反応から、ヘルゲの母親は、ヘルゲがアナに話したような過保護な母親ではないことがわかる。ヘルゲは子供のころに虐待されていたことから目をそらしていたのだ。

そして、少年と出会うことが、次の日、病院でヘルゲにとって厳しくかつ差し迫った状況をもたらすことを観客は再び知ることとなる。ヘルゲは、医師に人工呼吸器を外してもらうよう頼むべきか、決断しなければならない。呼吸器を外せば老母は死ぬことになる。母の死にあたり、以前は母のことを心配し、母に献身的であったヘルゲの表情がここでは悲しみと怒りが混ざった表情へと変わっていく。
さらに少年がヘルゲに現実と向き合うように背中を押す3度目のシーンがある。アナが死んだあと、ヘルゲはアナのボイスレコーダーに残っていた自分自身の声を何回も聴く。しかし、ボイスレコーダーにはアナがアンデシュに話しかける優しい声の他にも、ヘルゲの注意を引く何かをひっかくような音が残されていた。シーンが変わり、アンデシュと少年がアンデシュの部屋にいる。少年が貼られたポスターを爪でひっかいている。ひっかく音声だけでなく、フラッシュバック映像が入った後、不思議な力に導かれるように、ヘルゲはアナがかつて住んでいた部屋へと入っていく。ヘルゲはその部屋で絵を見つける。その絵は映画において重要な小道具である。二回目の描き足しがされていて、今回は森の中に墓が描き足されている。

ヘルゲは墓を探しに行き、少年の死体が入ったシートを見つけることになる。アンデシュは少年に言っている。「誰かに気づいてもらえたら、ゆっくり眠れるよ」そして、少年は安らかに眠りにつき、殺人事件は解決する。絵は、事件の解決のための重要なカギとなる。ヘルゲがこの謎を解決する役割を担うことは、映画の冒頭でアナがアパートの鍵を開けるシーンで「クリストファー・ヨーネル」とヘルゲを演じる役者の名がスクリーンに映されることで、ヘルゲがそういう役割であることが予告されている。
アナが電器店でヘルゲを探し出してチャイルドコールを交換してもらおうとするシーンは象徴的なシーンである。「奇妙な声が聞こえるの。息子の部屋以外から変な話し声がしてた」と訴えると、ヘルゲは非常に簡単な解決法を伝える。「チャンネルを変えれば、ご近所のと混線しない」この説明は機械の扱いとしては正しいが、深い意味において皮肉な解決法である。精神を病んでいるアナに見えている世界はある意味、簡単に消し去ることができる。悲しいことを考えないことによって、それは実現できるのである。ヘルゲがこの説明をすることは象徴的である。なぜなら、彼は自分自身の人生経験によって「チャンネルを変える」専門家になっているからである。職場の電器店で、テレビに年老いた病人が映っているのを目にしたヘルゲは、同僚の店員にチャンネルを「映画にしてくれ」と頼んでいる。ヘルゲは「違うチャンネルに換える」ことで、不愉快な現実から逃避する。アナが「記憶が現実とは限らない」と言ったとき、ヘルゲは「どういう意味?」と受け流す。なぜなら、ヘルゲは嫌な記憶を自分に都合の良いように改変してきたからである。
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Originally published at Montages.no / Analytical article was written by Mr. Dag Sødtholt