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メビウスの輪のような効果


ショッピングモールのカフェについては前章で説明した。ここでは、映画内における「大変興味のある関係性」について考察しよう。映画の前半部分、ヘルゲとアナがカフェでコーヒーを飲んでいるとき、アナが、このカフェに来るのは初めてであることを伝えたのに対し、ヘルゲは「(以前)お客にカメラを見せていて、ファインダー越しに――君の姿が見えたと思ってシャッターを切った」と言っている。映画の後半部分において、まさにその状況、アナ(とアナの想像上のアンデシュ)はカフェで座ってお茶を飲んでいて、ヘルゲが接客中、カメラのファインダー越しにアナを見かける、というシーンを観客は観ることとなる。


これは意図的に時間とシーンの構成をねじれた形でつなげることで、メビウスの輪のような不思議な感覚を作り出す演出であり、アナの混乱した世界を観客に体感させているのである。さらに後のシーンで、ヘルゲはアンデシュと友達になる“近所の少年”を同じカフェで見かけている(このときヘルゲは勤務中で、そばにお客はいない)。

ヘルゲとアナがコーヒーを飲んでいるときにも、カメラが重要な役割をしている。そこでもシーンの複製化、映画における混乱が起きる。2人は互いの写真を撮りあい、ヘルゲの顔写真をアナは自宅の冷蔵庫の扉に貼る。その直後、アンデシュが自分の部屋に元夫の写真を貼ったことに気付き、アナは衝撃を受ける。おそらく、このアンデシュの行動は、精神を病んでいるアナの恐怖を表したもので、それは善良そうなヘルゲも実は前夫同様の悪い男だ、ということが将来わかってくるに違いない、という恐怖である。


作中人間関係にみられる類似性


作品中に認められるこのような類似したシーン、それは本作において合理性を伴った類似性として極めて広く作品中に散在している。この映画における人間関係や、事物の関係において、こういった表現法が認められる。人間関係に認められる類似性をまとめてみよう。

・“近所の少年”とアンデシュとの類似性: 2人とも8歳である。虐待されている。秘密裏に互いに助け合っている。
  ヘルゲは少年のことをアンデシュだと思い込んでいる。
・アナとヘルゲの母親との類似性: ヘルゲは2人が似ていることを強調。また2人の死体は良く似たポーズをとっている。
・ヘルゲとアンデシュとの類似性: 2人とも各々の母親から虐げられている。アナとアンデシュは、
 ヘルゲの母親とヘルゲを若くしたようなもの。
・アナとアンデシュとの類似性: 2人とも同一人物から虐待されている(アナの前夫、そしてアンデシュの父親)。
 すぐに新しい友達を作る。青色と関係、その点については後述。
・アナとヘルゲとの類似性: 2人とも孤独、心配性。アナは前夫、ヘルゲは母親から虐待されていた。
 2人とも悲しい境遇から眼をそらしている。アナはアンデシュが実際は亡くなっていることから、
 ヘルゲは母親から虐待されていたことから。
・ヘルゲと“近所の少年”との類似性: 2人とも両親から虐待されている。
・殺人犯とアナの前夫との類似性; 実の子供を虐待、そして殺害。
・ヘルゲとアナの前夫との類似性: 画面に現れる写真の構図が酷似している。
・アナと殺人犯の妻(あるいは殺人犯の女友達)との類似性: アナはアンデシュにつらくあたる。
 以前に子供に対して虐待していた可能性がある。2人とも殺人犯の妻。
このような類似性の表現は、より細かい形で認められる。“近所の少年”同様に、学校の職員は当初、怖い存在として現れる。また“近所の少年”同様に彼にはしばらくの間台詞がない。児童福祉施設の職員と思い込まれている管理人オーレは、学校の職員よりも登場シーンが多いが、彼の映画内のテーマへのかかわりは薄い。アンデシュとオーレはアナに対して、アナに友人がいることを否定する。

そして、ヘルゲとオーレはアナの頬をなでようとしている。このことは注目に値する。シュレットアウネ監督は、人には加害者と被害者の二面性があることに関心がある、と語っていた。それは、管理人が脅迫者でありながら、アナから刺される、ということによく表れている。
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Originally published at Montages.no / Analytical article was written by Mr. Dag Sødtholt