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アンデシュを抱くアナ


次の表現法へと話を移そう。特に興味深いこととして、アナが自殺をするに至るまでの一連の経過が挙げられる。それは映画の初めのころのシーンから認められる。橋の上でアナはアンデシュを抱くが、この行為はラストの「一緒に」投身自殺をするときと同じ行為である。この橋の上にいるとき、アンデシュは「2人だけでどこかへ行こう」と言う。アナはどこかへ行くことを約束するが、アナが死への恐怖感を失うまでその約束は履行されない。管理人が血を流し、ヘルゲが急いで部屋まで駆け付け、ドアを開けようとしたそのとき、追い詰められたアナは自殺する。追い詰められたことでアナの死への恐怖は消え去ったのだ。アナはアンデシュと一緒に旅立つ心構えができたのだ。


自殺への伏線は、この記事のプロローグ冒頭で引用したアナの台詞にも認められる。アナは、「(アンデシュが危機に陥ったら、)あの人たちから必ず逃げ切ってみせる。その日は決して遠くはない」と言っている。この台詞の「逃げる」は「飛ぶ」の意味でもある。本記事で頻繁に取り上げるシーンである、“近所の少年”がアンデシュの家に来て、突然どこかへ行ってしまう、そしてアナとアンデシュはアパートを描いた絵が血で汚されていることに気がつくシーン。その絵には地に伏した死体が描かれており、これは飛び降り自殺への強い伏線になっている。また、アナがその少年を探して子供部屋にいるとき、アナのそばにある窓は大きく開いている。ラストでアナが投身自殺をするのは、その窓からである。


重要な小道具--絵・ジャケット・カーテン


いったい誰が絵を血で汚し、死体を描き足したのだろうか? アナが子供部屋に立ち寄ったとき、“近所の少年”は立ち上がり、自分の手をアナの手の上に重ねる。その直後、床の上から、少年の目立つ色の赤いジャケットをアナが拾い上げげる。アナは壁の洋服掛けにジャケットをかける。鏡に掛けられたジャケットが映る。ジャケットそのものはストーリーにからむことはないが、なんらかの意味を示すものと思われる。本作中で、鏡は重要な小道具ではない。このことは、本作中で鏡が出てくるのがこのシーンだけであることからわかる。少年がアナの手に触れること、「血の色である赤い」ジャケットをアナが手に取ること、これらの行為が、絵を描き加え、絵を血で汚した人物がアナであることを暗示しているように考えられる。

アンデシュに“近所の少年”が秘密裏に「僕たち、助け合おう」と言うシーンがある。少年にとっての助けとは、彼が殺されていることをはっきりさせることであるが、その点に関しアンデシュに何ができるかは曖昧である。しかし、アナと一緒にどこかへ行きたいというアンデシュの希望について言えば、絵が血で汚れ、死体が描き加えられることは、アナが自殺するという一連の流れのなかの事件である。そういう観点においては、「2人だけで、どこかへ行こう」、とアンデシュがアナに言う橋の上でのシーンも同じ一連のシーンと解釈できる。自殺することで、アナとアンデシュの2人の人生は終わる。アンデシュは安らかに眠ることができる。なぜなら、アンデシュは病んでいるアナの頭の中でしか存在しないからである。

「僕たち、助け合おう」のシーンで、“近所の少年”のジャケットが「魔法の」小道具として機能している点にも注目してほしい。ここで、少年はジャケットをチャイルドコールの上にかける。ジャケットで覆うことで、チャイルドコールを通して2人の会話がアナに聴かれないようにしているのである。
カーテンも重要な小道具である。アナは7階に住んでいるにもかかわらず、カーテンを閉めることに固執する。ヘルゲの母の病室では、逆にカーテンは開けられている。アナの部屋と殺人犯の部屋にも不思議な共通点がある。両部屋ともに、その階の3部屋めなのだ。二つの部屋は、表玄関から向かって反対側に位置する関係にはあるものの、この点では興味ある類似性を表している。以下に写真で示す表現法になにか監督の意図があるのかどうか、はっきりとはわからない。監督が意図して行っているわけではないのかもしれない。とはいえ、美しいシーンではある。
 
 
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Originally published at Montages.no / Analytical article was written by Mr. Dag Sødtholt