ヘルゲは母親から虐待されていた記憶を封印せずには生きられなかった。そして亡くなった父親について語る時、彼はさらに空想的である。「心は一緒だ。話しかけるのさ、父を思い浮かべてね」、そして詩のような物語を語り、映画は幕を下ろす。
象徴的な青いペンを持ち、「青い」登場人物であるアナとアンデシュについて物語を語るヘルゲ自身もまた「青い」登場人物である。なぜなら、ヘルゲは愛を求める孤独な人間で、アナはヘルゲの母親の分身だからである。アンデシュとアナは、ヘルゲと母親の写し鏡である。ヘルゲの想像の世界では、虐待するのは父親で、アナは息子を救うためにライオンのように戦う。
ヘルゲの母親の過保護というネガティブな側面は、アナの場合は子供への純愛と置き換えられている。例えば、アンデシュへの過保護がやり過ぎだと批判されていると、アナがヘルゲに言ったとき、ヘルゲは「息子を愛する親心だろ?」と答えている。ヘルゲがアナをよく理解していることを示している会話だが、もしアナがヘルゲの想像の産物であれば、ヘルゲがアナのことを理解しているのはあたりまえのことである。アナに子供の頃の思い出が一つしかないことも説明できる。それは、ヘルゲが考えたものだからである。その思い出が、ヘルゲが強く希求する世界へとつながり、幸福な母子の物語として映画の最後を飾ることの意味は深い。
書くこともアナにとっては大事なことである。チャイルドコールから聴こえた恐ろしい音声のことも日記に書いている。アナのアンデシュへの想いと恐ろしい音声のことはどちらも日記に記されるが、この二つはヘルゲの想像のように思える。日記の色は緑で、ヘルゲの服の色も緑である。ヘルゲが昔、アナがいま住んでいるアパートに住んでいたことは注目に値する。しかし、想像上の物語の中で、ヘルゲは母親とやり直そうとしている。
この解釈はあくまでも仮説であるが、現実と想像の世界との間のうつろいを描く本作にはぴたりとあてはまる。超常現象でないとすれば“近所の少年”は幽霊ではなく、ヘルゲの想像上の存在であることになる。それは『隣人
ネクストドア』の姉妹が幻想であることと同様である(ここで提示した仮説は、「モンタージュ」に寄せられたある人物からのコメントに負うところが多い)。