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愛する人をあきらめきれない――似通っている2本の映画


『チャイルドコール 呼声』と『隣人 ネクストドア』が似通った作品であることは明らかである。どちらの作品においても、主人公は精神を病んでいる。主人公は現実を曲解している。他人を侵害者とみなし恐れている。2作品ともにクリストファー・ヨーネルが重要な役を演じている。両作品で彼が演ずる男は、知人が異様な行動をとっていることを知りつつも、それを秘密にしなければならない。主人公は亡霊を見る、それも1人の亡霊ではなく、2人の亡霊を。『隣人 ネクストドア』では2人の姉妹の亡霊、『チャイルドコール 呼声』では2人の子供の亡霊を。2作品共にアパートが舞台となっている、『チャイルドコール 呼声』は『隣人 ネクストドア』に比べ、アパートの重要性は低いが、両作品ともに、廊下は大事な舞台であり、二つの作品で廊下は同じ色合いを呈している。そして、どちらも陰惨な殺人事件が起きる。
細かい点においても、いくつもの類似点が認められる。最も驚くべき類似点は、両作品とも主人公たちが、自分の愛する人をあきらめきれないことである。彼らは、愛する者が亡くなっても、まだ生きていると思い込んでいるのである。これは視覚的に強調されている。『隣人 ネクストドア』のラストで、ヨーンは恋人だった女性の死体とベッドで寝ている、『チャイルドコール 呼声』ではアナは同じくベッドで「死人」と寝る。類似性はあるものの、『隣人 ネクストドア』の醜い死体に対して、『チャイルドコール 呼声』のアンデシュは健康そのものでまるで生きているように見える。『チャイルドコール 呼声』のアナは、アンデシュをいじめることはできない、と強く主張する一方、『隣人 ネクストドア』のヨーンは恋人に何度も暴力をふるった、と言っている。『隣人 ネクストドア』のヨーン、『チャイルドコール 呼声』のアナの2人とも、傷のある顔で外をふらつき、周りの人が何があったのかと、いぶかる。

『チャイルドコール 呼声』で、アンデシュはアナの想像上の存在にすぎない。アンデシュが現れるシーンでは、ほとんどの場合、最初にアナが画面に現れ、その後にアンデシュが登場している。これはアナの心理がアンデシュを生み出していることを反映している。これに似た演出をシュレットアウネ監督は『隣人 ネクストドア』でも行なっている。そこでは亡霊である2人の姉妹は映画の中で別々に登場し、同じ画面に2人が現れることはほとんどない。また、2作品はともに車の中のシーンから映画が始まり、殺人が起こる。それも奇妙なことにどちらも殺人が起きるのは5階である(『隣人 ネクストドア』で、ヨーンが怪しい隣人に電話番号を尋ねたとき、5階であると言う)。

テーマ設定――ポランスキー『反撥』、フィンチャー『ファイト・クラブ』、アントニオーニ『欲望』、デ・パルマ『ミッドナイトクロス』などからの影響


しかし、この二つの作品には異なる点もある。『隣人 ネクストドア』の閉所恐怖症的な感覚はデビッド・リンチの作品を思わせる。『チャイルドコール 呼声』の控え目で抑制された撮影手法はロマン・ポランスキーの作品を思わせる。一見すると『チャイルドコール 呼声』は、『隣人 ネクストドア』に比べてより現実的で客観的に思われる。しかしこれは陥りやすい間違いである。他の異なる点としては、『チャイルドコール 呼声』にはオカルト的要素があることである。作中の少年は、アンデシュとは異なり伝統的な幽霊である。一方、『チャイルドコール 呼声』にはオカルト要素がない、という解釈もある。この点については後述する。

2作品のテーマ設定には、ポランスキーの『反撥』(1965)、『テナント/恐怖を借りた男』(1976)の影響がうかがえる。テーマに関連性がある映画としては、主人公の脳内でストーリーが展開するという点では、デビッド・フィンチャーの『ファイト・クラブ』(1999)、登場人物が偶然殺人事件を目撃してしまうという点ではアントニオーニの『欲望』(1966)、ブライアン・デ・パルマの『ミッドナイトクロス』(1981)が挙げられる。
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Originally published at Montages.no / Analytical article was written by Mr. Dag Sødtholt